秦国総司令を務める昌平君(しょうへいくん)。
この昌平君の策を持って秦国全土の兵が動いています。
楚を故郷にもち、呂氏四柱としても活躍しました。
この昌平君は、呂不韋(りょふい)を裏切り、秦王嬴政(えいせい)の陣営に寝返ります。
呂不韋に大変お世話になったそうな昌平君。
なぜ裏切ってしまったんでしょうか。
そして、秦国をも裏切る可能性が、、、?!
キングダムの昌平君(しょうへいくん)とは?
昌平君は秦軍総司令として、秦国の軍をつかさどっています。
常に何十手も先を読み、中華攻略を目指しているジングツ。
昌平君の策略により山陽を取った時には李牧をも驚かせる一手だったようで、「あの一手は詰みの一手」と言わせるほどでした。
策の重要性についてむっちゃ論理的に語る昌平君先生#キングダム pic.twitter.com/USnZNX3jBf
— Show Izumiya@夏休み中🏝 (@Show_Iz) August 8, 2019
そんな昌平君は呂不韋の四柱として出世してきました。
しかし、呂不韋を裏切り、嬴政の陣へ寝返ります。
その真意とはなんだったのでしょうか。
そして、史実では昌平君が秦国を裏切るとか、、、。
昌平君が呂不韋を裏切り!取るに足らぬ小事とは
呂不韋が最も信頼する呂氏四柱は、それぞれが秀でた能力を持っていて、昌平君はその軍略の才能によって、呂氏陣営を支えていました。
しかし、昌平君は呂不韋を裏切るという行為に及んでしまいます。
昌平君が呂不韋を裏切り!蕞(さい)への大王出陣での「取るに足らぬ小事」
合従軍戦の最後の戦いである南道の戦いでの出来事です。
呂不韋が趙に寝返ろうとする中、昌平君は秦王嬴政(えいせい)が蕞(さい)の城に出陣することに賛成し、弟子である介億(かいおく)と蒙毅(もうき)を蕞へ送り出します。
呂不韋から謀反ではないかと問い詰められても、
「そんなことは、取るに足らぬ小事です。」
と言い放ちます。
呂不韋の謀反より秦国のこれからの方が大事。
つまりは、秦王嬴政(えいせい)の考えを全面的に受け入れる、ということ。
昌平君が呂不韋を裏切り!加冠の儀での「世話になった」
さらに、場面は変わり、嬴政加冠の儀のときのこと。
呂不韋の策略により、毐国(嫪毐と太后が一時的に建国した国)が反乱を起こすことを昌平君は事前に飛信隊の河了貂(かりょうてん)に伝えます。
そして、反乱軍が咸陽へ迫った時、昌平君は立ち上がり、呂不韋に言い放ちます。
「世話になった。」
ここで完全に呂不韋陣営を裏切り、政陣営に寝返ることが確定しました。
なにい?!と、皆さんも度肝を抜かれたのではないでしょうか。
ですが、昌平君が呂不韋の目指している、「財をもって中華を統一する」こととは真反対のことを考えていることは明白であり、いやはや良くやった!という人も多いのではないでしょうか。
山陽の戦い、合従軍の戦いなど、多くの戦を乗り越えてきた昌平君。
そして、武力を持って中華統一すると何度も口にする嬴政。
そして、文官だけでなく、兵士までも奮い立たせる活躍を見て、政がトップに立てば中華統一の夢が叶うと確信したのではないかと思います。
これからは政の片腕として、六国を亡ぼす主戦力となりうるかと思いきや、もしかしたら昌平君が秦を裏切るかもしれないというウワサが、、、。
よくよく調べてみれば、昌平君が秦を裏切ることは史実上確定しているようです。
ではなぜこんなことが起こるのでしょうか。
昌平君は最終的に秦を裏切るのか?
趙との戦に全力を注いでいる昌平君がどのタイミングで秦を裏切るのでしょうか。
史実によると、昌平君は楚の王族であったけれども、考烈王が人質として秦に捕らわれているときに、秦で生まれ、そのまま秦で育ったようです。
そこからは呂不韋の元で、さらには政の下で大いに力を発揮した昌平君。
しかし、趙滅亡後の楚との戦いで、昌平君は祖国である楚に楚王として寝返り、秦軍と戦うことになります。
なぜこんな事になるのでしょう。
ここからは考察ですが、楚国と秦が戦うとき、楚の将軍は項燕(こうえん)という将軍が総大将となります。
この項燕がずっと前から昌平君反逆ストーリーを立てていたのではないかと考えています。
つまり、最初から昌平君を楚王として秦と戦わせる戦略を立てていて、昌平君はその為に秦で活躍していたのです。
まずは、呂不韋が実権を握ることを阻止し、秦に戦による中華統一を目指させます。
そして、一番厄介な敵である趙を秦が滅ぼす、もしくは弱体化させます。
その後、後ろに憂いのない状態で、昌平君を楚王として秦を滅ぼし、中華統一を確実なものにする。
こんなストーリーを思い描いていたのではないでしょうか。
昌平君が秦を裏切ったとしたら、誰が討つか
楚王として秦と戦う昌平君。
秦国の総司令として絶大な力を誇った彼でさえも秦軍を敗ることは出来ませんでした。
史実によると、一度は李信と王賁を破り、秦国の弱体化に成功したけれども、王翦・蒙武連合軍に楚国は滅ぼされると記述があります。
鄴攻めの朱海平原の戦いで、昌平君の作戦を捨て、自らの戦略で李牧と互角以上の戦いを見せています。
そんな中華最強となるであろう王翦の策によって昌平君は敗れます。
また、幼馴染である蒙武も戦に加わっているので、蒙武との激闘の末に討たれてしまうのではないかと思います。
その時には、昌平君と蒙武の過去の話も出てきたりなんかして、、、
今から楽しみです!
昌平君の裏切りに関するまとめ
昌平君の2つの裏切りと昌平君の最後、昌平君は壮絶な人生を送っていますよね、、、。
そして、かっこよく、軍略でも武才でもトップクラスの彼が討たれてしまう、そんな日が来ると思うとすごく寂しい気持ちになります。
しかし、これで秦と楚の戦いは盛り上がること必至です!
今までの昌平君の活躍、これからの活躍を目につけておきましょう!!!