キングダムという漫画において、圧倒的な武を持つ将軍として活躍している蒙武将軍。
秦が六国に攻められる合従軍の戦いで楚と戦ったときには、合従軍全体の武の象徴であった敵将汗明(かんめい)を見事討ち取りました。
自分でも中華最強を名乗る蒙武将軍とは一体どのような人物なのでしょうか。
また、蒙武の父「蒙豪」、そして息子「蒙恬」との関係は?
それぞれの特徴、関係性をまとめてみました。
蒙武将軍(もうぶ)とは?蒙恬(もうてん)や蒙豪(もうごう)との関係
秦国内で武力なら最強ではないかといわれる蒙武将軍。
キングダム
蒙武がいつも通りで安心したw
でもあの人すごい怪我してなかったけ?それにしても合従軍散々だなぁ pic.twitter.com/Yhqy8fpymU
— ヤマサンダー (@yama_san_san) August 23, 2013
持ち前の巨体を駆使して巨大な鉄の棒を振り回します。
実戦経験は少ないですが、大王の側近である呂不韋直属の四柱として働いています。
その四柱の中の昌平君と共にしていたことで、軍の理解は深まり、軍の士気を上げること、軍を強くする方法を学んでいるようです。
しかし、策を練らずに武力のみで戦ってしまうが為に、足元をすくわれる場面も。
蒙武将軍の息子は蒙恬!
蒙恬かわいすぎて無理ぃ
てかえろすぎて死んだ無理ぃ pic.twitter.com/a5YVkbEoWJ— あんられちゃん (@ymdyszw) June 27, 2019
蒙武将軍の息子は蒙恬といいます。
身体は小さく、爽やかイケメンで、筋肉質でもありません。
蒙武将軍とは真逆ですね(笑)
普段はヘラヘラしているように見えますが、戦になると別人。
三百将のときにはもう将軍レベルの戦術を見せていました。
どの戦でも大局をとらえ、敵の狙いを読みつくします。
こんなにかっこいい武将はいないだろうというぐらいの華麗な戦術と頭の切れを持っています。
しかし、今までの戦いでは決定的な活躍はしているものの、敵将を討ったことはありません。
今後、蒙恬が敵の総大将を討つことはあるのでしょうか?!
蒙恬と蒙武の親子関係は良好?
父であり、頑固で厳しい蒙武のことを、蒙恬は苦手のようです。
ただ、秦国を代表する将軍である蒙武を尊敬していることとその蒙武に認められたいと思っていることは間違いないでしょう。
それがわかる場面があります。
それは、蒙恬は合従軍の戦いで蒙武と同じ楚と戦うのに、なぜ自分が父の軍ではないのか問いかける場面。
すぐに蒙恬は「うそ、やっぱいいや」と訂正していますが、自分のことを認めてくれない蒙武に拗ねているのでしょう。
かわいいとこあるじゃん蒙恬!
また、蒙武は蒙恬に将としての才能があることを十分認めています。
しかし、蒙恬を前にすると素直な言葉を投げかけることが出来ません。
山陽の戦いで、敵の策略をズバリ言い当てた時には、「相変わらず勘の良さだけは一人前だな」と言って蒙恬の前に現れます。
さらには、合従軍戦で敵将汗明を討つ際に、命がけで自分のことを守ってくれた蒙恬に対し、「この蒙武の倅だ!その程度では死にはせぬ!」と言い放ち去っていきます。
この頑固者ォォ!!!と叫びたくなりましたが、これも蒙武なりの愛情表現ですね。
不器用な親父の姿に、歯がゆくも確かな愛情を感じます。
まだ素直になれない二人ですが、この先、蒙武と蒙恬が共に戦い、熱い抱擁を交わすというような場面が待っているのではないでしょうか?!
蒙恬の弟は蒙毅(もうき)!
蒙恬には蒙毅という弟がいます。
蒙毅は昌平君の軍師学校に通っていて、戦の戦術を練り、軍を指揮する軍師を目指しています。
蒙毅は小柄で生真面目な性格です。
軍略の面で父である蒙武をサポートしたいという理由から軍師を目指しています。
本当にいい息子ですよね、、。
ただ今のところ、まだ戦場には出ていませんし、蒙武との会話すらありません。
巻を追うごとに存在が薄くなってしまっている蒙毅。
蒙武の軍師として戦場に出る機会はあるのでしょうか。
蒙武将軍の父は蒙豪(もうごう)
蒙豪将軍! pic.twitter.com/ui7oRIvuIY
— どうちぇ@残業 (@generalfrostOOV) January 28, 2017
蒙豪とは、秦国の大将軍で、白老の愛称を持っています。
この白老こそが蒙武の父です。
身体の大きさは蒙武並みですが、顔はいつでもにこやかで性格も穏やかです。
蒙豪の戦い方は定石通りの正攻法で、勝てる戦を確実に勝利に導き、大将軍まで昇り詰めました。
代表的な戦は魏国へ攻め込む山陽の戦いです。
ここでは敵将廉頗(れんぱ)を討つため、いつもとは違い、あらゆる策を講じて戦います。
因縁の相手である廉頗との一騎打ちはアツかったですね。
廉頗を討ち取ることは出来なかったものの、蒙豪配下の将軍2人と信たちの活躍により、秦国が勝利を収めました。
蒙豪と蒙武の親子関係は良好?
蒙武は、幼いころ斉の国から蒙豪と一緒に秦国へ移ってきたと言っています。
このことから、蒙武は蒙豪の戦っている姿を幼いころからずっと見ているのでしょう。
山陽の戦いの敵将が済の国で一度も勝てなかった廉頗であることを伝えにきたのが蒙武であったことからも、親子の絆は深いように感じられます。
合従軍の戦いで蒙武が汗明を討ったときには、蒙豪は「よぉし!よぉし!」と雄たけびを二回も上げていましたね。
いつも「フォッフォッ」と笑っている蒙豪の雄たけびを上げさせることが出来るのは蒙武ただ一人でしょう。
蒙武が参戦した戦い:汗明はどこで撃破した?
これまで、蒙武が参戦した戦いは大きく二つあります。
- 馬陽の戦い
- 合従軍の戦い
蒙武将軍が活躍した戦い:馬陽の戦い
李牧率いる趙軍と戦った馬陽の戦いで副将を務めます。
そこでの序盤戦では、歩兵の士気を高め、中華が認める将軍である守備の李白を驚かせます。
蒙武は、どんな策でも自分の武を持って打ち破ることができるという自信がありました。
だからこそ戦の終盤でも、罠とわかっていながらも敵の総大将龐煖(ほうけん)の誘いに乗っていきます。
しかしその結果、ことごとく罠にはまり、兵の大半を失うだけでなく、大将を務める王騎が蒙武を助けに行かなくてはならない場面を作ってしまいました。
落石で半分の兵を失い、討ち取ったと思った龐煖も偽物だとわかったときには私も、「何やってんだ蒙武!!」と叫びました。。
しかし、この戦いで蒙武は大きく成長し、合従軍の戦いを迎えることになります。
蒙武将軍が活躍した戦い:合従軍の戦いで汗明を撃破
秦が六国から攻められることとなった合従軍の戦い。
ここで蒙武は楚軍と対峙します。
そこで現れたのは合従軍の武の象徴である汗明。
楚の巨人 汗明です。 pic.twitter.com/3NsKrk9V3O
— クニ (@xoxkuni) December 19, 2013
汗明は戦で一度も負けたことがなく、かつて秦国の六代将軍であった王齕(おうこつ)もあっさり敗れたといいます。
そんな中華最強と思われる武と秦国最強の武の対決は、まさに死闘と呼べるほどの打ち合い。
すべての力を出し切り、蒙武は汗明を討つことが出来ました。
この勝利は、秦国の勝利をほぼ確実にするものであると同時に、蒙武の武が中華最強であることを象徴するものになりました。
蒙武将軍に関するまとめ
いかがだったでしょうか。
「蒙武」「蒙豪」「蒙恬」と三代で秦に仕えた蒙家。
顔や体つき、性格までもが全く似ていない3人ですが、親子愛を感じることが出来たのではないでしょうか。
あ、蒙毅も忘れてはいけませんね。
蒙家の今後もぜひ楽しみながら読んでみてください。
それでは。